at the dawn

阿部顕嵐くん/天使でスターで王子様bot

アイドルと、日々生きる。

アイドルとは、なにか。という私的な話。

別にキンプリがどうとか言うタイミングなわけではなく、個人的にいろいろ思ったり思わなかったりしたタイミング、というだけだ。

 

ステージ上で笑顔で踊るアイドルを見て、「よし!明日からも頑張ろう!」なんて爽やかな気分で会場を後に出来ることはごくまれで、大抵は「明日から現実だーーーーー学校行きたくねーーーーーーー」と鬱々とし、無駄に夜中までTwitterに居座って翌日が余計しんどい、みたいなジャニオタをやってきたんですけれども。

もちろん、「よし!明日からも頑張ろう!」みたいなテンションでいられることはまれなんだけど、本当につらくなったとき、壁にぶち当たったとき、そしてそれを誰かに相談することさえ迷うとき、私を支えてくれたのは、アイドルだった。むしろ私はそうしてアイドルにハマった。

という話を唐突にします。

 

私がじゅんくんと顕嵐くんのファンでい続けられるのは、ふたりが私にたくさんの新しい景色を見せ続けてくれるからに他ならない。

けれど、そもそも自分とはかけ離れたアイドルという存在を肯定して、時に生きる糧とさえしているのは、彼らが意思に関わらない仕事をして前に進み続けなければならないひとたちだから、なのかもしれない。

世の中には理不尽なこと、自分ではどうしようも出来ないことってたくさんある。

でもきっとそこからは、逃げることも避けることもできず、ただそれを乗り越えて前に進まなければならないことの方が、下手したら多い。

そんなとき、私たちはあの輝かしい舞台の上に立つ彼らに自分を重ねているのかもしれない、と、ようやく思い始めた。

敢えて「私」じゃなく「私たち」っていう言葉を使ってみるよ。

 

アイドルである彼らは、規定された世界観の中で、決められたように生き続ける。

例え彼らの意思にそぐわないことがあったとしても、外野からその存在さえ否定されても、アイドルとして生きるために、絶対に前を向いて進んでいく。

でも、そうやって進むことさえ、足元が常に薄暗い。いつ転ぶか、いつ落ちるかわからない。そんな綱渡りを、彼らは人生とプライドをかけて全うする。

そんなアイドルでいる彼らに、無意識的でも意識的でも、自分の生きづらさを重ねて見ていることだって、ある気がする。少なくとも、私はそうだ。

 

非常に個人的な話になるけれど(んなこと言ったらついったやブログ自体個人的なんだけど)、私の体の中には先天的なハードルがあって、それは一生ついて回るもので私にはどうすることもできない。

目で見ても、直接私と関わっても、ほとんどの人はその存在に気が付かないから、私はひとりでそのハードルと向き合い続けなければならないわけで。

そのせいにしていても生きてなんかいけないけど、何もうまく行かない時は、運命を恨むんだ。

どうして、そんなものを持って生まれてしまったんだろう。私だって、普通の人と同じように生活がしたいって思う。

自分の努力ではどうにもできないことさえ自分自身そのものだとみなされて、否定されることの悔しさを、彼らなら知っているんじゃないか。そう、思うことがある。

 

悔しくたって、前に進むしかない。そう、彼らは教えてくれる。

いつだって降りることのできる列車。彼らは、敷かれた長く入り組んだレールの上を、時にゆるやかに、時に猛スピードで、優しくも荒くもあったけど、走り続けてきた。

だから、私も。

悔しくたって、前に進むことからは逃げられない。逃げない。

いつだって、綱渡り。

それでも、自分のやり方を信じて生きていくしかないんだと、彼らは教えてくれる。

 

もちろん、身近に支えてくれる人はたくさんいる。

でもその優しささえ重く鈍い痛みに変わるとき、誰にも明かせない苦しみが胸に宿ったとき、嫌になるほど自己中心的な自己嫌悪に苛まれるとき、私の大好きなアイドルは、私の胸に、小さく柔らかな光を投じてくれる。

それは決して道しるべではなく、霧が晴れるような煌々とした明りでもない。ただ、遠く離れた場所から、確かで温かい光で、私の心の闇を少しだけ照らしてくれる。

いつまでも彼らが拠りどころでいてくれるように、私は出来る限りのことを日々するだけだと、今日も思う。

私も、前に進み続けるよ。