一応、現時点での個人的な感想。顕嵐くんの話ではなく、私がどう思うか、という話です。
□■顕嵐くんとSNS。
のっけから他人の話をするけれど、私はセクバ時代の高橋颯を割とスターだと思っていたので(何より圧倒的りあこだった)、スターがTwitterを始めた時非常にショックが大きかった。ただ、颯くんの文字打ちはものすごい颯くんで、嬉しくなった。見ているうちに、コレはコレでありなんだ、と思えるようになった。
今その現象を自担で味わっているのかな、と思うような思わないような。
あの写真たちが顕嵐くんらしいかどうか分からない。分からないけど、「顕嵐くんはこんな写真上げなくない?」とも思わない。
人生でいちばん多感な時期を6年追いかけていたのだから、彼が何をどう選択するのかは、漠然と理解してきたつもりだった。その感覚は今も揺らいでいない。
一方で、SNSを操る顕嵐くんと出会うのは、初めてのこと。それなりに酸いも甘いも噛み分けて、大人になった顕嵐くんが、今何を伝えるのか予測がつかない。分かるようで、分からない。そんな体験ができている今が、なんだかこそばゆい。
□■そもそも。
別にSNSやってほしいと思ったこと、1回もないじゃん?(大前提に戻る)
たぶんSNSへの拒否反応の最大の理由は、ファンがコメントしたりリアクションしたりして、それが彼らにあまりにダイレクトに届いてしまうこと、だと思う。それは、エゴサして見るものとまったく違う景色のはず。もう少し守られた場所にいてくれ。ファンとなんか、近づかなくていい。
そして、よりプライベートに近い部分が否が応でも見えること、もある。お仕事中の彼らと、プライベートの彼ら。どんな編集も加わらないそのグラデーションの部分は、これまでほとんど見えて来なかった。Web連載はお仕事の色が濃いし、Twitterに散らばる目情は基本的にプライベートだ(真偽も不明だし)。
あくまでグラデーションの部分なので、どプライベートをゴリゴリ見せつけられるわけじゃない、にしても。彼らがステージに立ってペンライトを向けられながら見せる以外の表情とか、普段は大人たちに切り取られている部分を少しでも見せられることを、私は別に望まない。
だから、彼の退所後最初の露出がSNSであることがはっきりとわかったとき、私は割と絶望した。仕事のお知らせ以外なら、別にいらない、ので。
いらないけど、彼は毎日20:30に律儀に更新してくるから、まあ一旦は受け入れるしかない、と思っている。
その絶望で嫌いになれるほど、この情は浅くない。
コメント欄閉じてくれてるという救いもあるし。しばらく静観。
□■ユニットと今後。
「Love-tuneで何かが起こるのでは」的な見方もあれば、「ようやく個人活動になった」と話す人もいる。「この熱狂は今だけだ」と冷めた目で視線が放たれる一方で、「この投稿は仕事の予兆だ」とメッセージを読み取ろうとする試行錯誤がある。
私は徹底した単推し主義なので、ある時期から「そのユニットにいて、顕嵐くんにもたらされるものが大きいかどうか」という観点でしかユニットを見ることができていない。その点、最後にLove-tuneと出会ったことは悪くないと思った。
けれど、彼のジャニーズJr.としての人生は、Love-tuneだけで形成されたものではない。今の彼を作ったのは、たくさんのJr.達との出会いだ。彼を愛してくれた、そして彼が愛した、たくさんの仲間との時間だ。その重みは、Love-tuneとは変わらない。
これからもきっとゆるやかなコミュニティとしてのLove-tuneは続くのだろう。それは、それでいい。それくらいの気持ちで今の流れを注視していたいと思う。状況が変わったら、また彼らに何かも気持ちを抱くだろう。
□■その他
・ストーリーが超絶シュール芸でじわった。これは顕嵐くんですわ……ってなったし、そのアクセ持ってきたところが可愛いなと思った。
・ストーリーで偽アカウント撃退したの本当好き
・アイコン、顔がいい。
・YOUは煙草嫌いな方の人でしょ…と思っていたけれど如何に…
・煙草吸う人すごい好き(知らん)
・なんでも深読みしたがるおたくを前に「これaranに見えるでしょ!」って英字新聞載せてくる無邪気さ、愛しいが過ぎる
・成人の日にあの投稿する自担、生まれ年のワインをプレゼントすることを粋だと捉えるタイプと見た
・現代っ子なくせにめちゃくちゃバブリーで、そこらへん本当ジャニーズって感じ…もうジャニーズじゃないけど…(つらい)
・世の中いろんなことが起こってるけど、一度手放したジャニーズブランドは一生帰ってこないことだけは知ってほしい>世の中のおたくと現ジャニーズの人たち