2015年の終わりくらいに書いたやつ。
一生公開できないと思ってたけど(ならなぜ書いた感)、もういいかなっておもった。
Princeの3人が自分たちのスタンスを明示してくれて、ユニットがバラバラになっても4人揃って顕嵐くんの個人仕事を見に来てくれて、実はセクボの中間子(いちばん末っ子みある…)な顕嵐くんが成人する、そんな未来でなら。
当時はエモにまみれてしんでたけど、未だにいつメンだしMAGIC(自称)(おたくの発言を使っている疑惑な件)だもんね………
当時の文章なので何言ってるねん感もすごいですが、特に修正は加えておりません!w
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先に言っておきます。私クリエセクボ厨じゃないんで。(何回目)
それでもこんな記事を書くのは、顕嵐担としての私のひとつの、夢が醒めたから。
このユニットじゃなきゃ!っていう執着はそれほどない方だったと思う。クリエセクボに、メンバー同士の化学反応というか、この5人が集まったからこそ生まれる何か!みたいなものをなかなか感じられなくて。それは、最初も、今でも。
最初から5人が、あのユニットに固執していたとは思えない。
始めは、これまで1年以上活動してきたセクバのフロントとしての4人に顕嵐くんが加わったっていうだけで、何度も形を変えてきたSexy Boysの、一番新しい形としての認識くらいしかなかったような気がする。ただ、入所以来仲の良かったメンバーでそのポジションにつけたことは嬉しかったと思う。あくまで想像でしかないけど。
でも、セクゾンコンについてクリエの公演を重ねる中で、彼らの中には「この5人は何か違う」っていう思いが生まれたんじゃないかな、と思ったりするわけで。
それは単純に、その仲の良さから生じるものもの大きいと思うし、何より自分たちで徐々にユニット感を育てていって、おたくからちゃんと「ユニットに対して」反応があったことが、すごく楽しかった、ように見えた。だから、じぐいわがセクボ(Z)になっても、少クラで立ち位置や括りに変化が見え始めても、むしろそうなればなるほど、5人に拘り続けたのかもしれない。
俺らは、まだまだユニットとしてやりたいことがたくさんある、って。
それは、キンプリとして括られても。
ユニットとしての良さなんて、最初から求める方が無理があるんだろうけど。
トラジュは、そんなものあろうがなかろうが、とにかくひとつの舞台を作るために踊ることがすべてだったから、個性の融合じゃなくて、カンパニー全体のパフォーマンスの完成を目指すことが最初から決められていたユニットだったし、その期間があったからこそトラジュクリエであれだけユニットとしてのパワーが爆発したんだと思うし。
それでもクリエセクボにこだわって、もう一度あの5人を見たい、まだまだあの5人を見ていたいって思わせられるのは、5人が同じ方向を向いて、本気で5人でのデビューを目指したから、なのかもしれない。例えそこに確固たる勝算がなくても、例えそれがほんのわずかな間の結束だったとしても。
— 水母 (@_stomp_in) 2015, 4月 20
第二次Jr.黄金期とも呼ばれるこの時代に、ほとんどのメンバーがユニットを掛け持ちしている状態のクリエセクボが、5人お互いのことを本気で信じて、自分の最たる目標に向かう覚悟を一瞬でもしたのなら。彼らの輝きはきっと褪せないし、私たちはいつまでもこのユニットの亡霊たり続けるのだと思う。
— 水母 (@_stomp_in) 2015, 4月 20
今Jr.の世界を取り巻く環境はあまりにめまぐるしく変化しすぎていて、5人はその中でもいちばんトップスピードの場所にいたから、ユニットを長らえさせることはどちらにせよ最も難しい立場だったと思うけど。
そこに彼らが心を砕いている時間を一緒に過ごせてよかったです。
顕嵐くんの、デビューに最も近づける場所として。
最後に。
私がクリエで唯一、最もこの5人をユニットだと感じたシーンが映像に残ったことが、かけがえなく嬉しいことです。
岸くんのソロパートと、顕嵐くんのダンスで構成された1番。
ちょうどこの場面、サビ終わりのこのフレーズに差し掛かるところでじぐいわちかが出てきて、5人が横一列に並んで揃って踊りだす。
後から3人が出てきてセクボちゃんが揃ったときに、パズルの最後のピースがすとん、とはまったときのような心地よさと興奮がありました。
2014年3月17日から、2015年9月23日まで。
これからも、顕嵐くんに見続ける夢はたくさんあるから、そのひとつが閉じただけ。
楽しかった思い出と一緒に、遥かなあの未来へいこうね。