at the dawn

阿部顕嵐くん/天使でスターで王子様bot

『ヒプノシスマイク-Division Rap Battle-』Rule the Stage -track.1- を振り返る

だいたいリアルタイムでTwitterに書いたけど、2019年11月が死ぬほど楽しかったことは残しておきたい(と思ってたら2020年になったしtrack2のスポット公開されてしまった…)

 

◎顕嵐くんの話しかしません

◎すべて妄想です

◎自担には下駄をはじめとしたいろんなものを履かせて話すタイプのおたくです

 

 

 

 

 

 

 

 

いろいろ、いろいろ考えたんですけど、顕嵐くんのファンとしていちばん幸せだったことは、「舞台でしか観られない左馬刻」を顕嵐くんがつくって演じてくれたこと。これに尽きる。

 

キャストが発表された9月、ヒプノシスマイクを何一つ把握していないじゃにおた崩れにも、叩かれる覚悟が秒で備わった。「骨格でキャスティングするって言ったじゃん!!とネルケの肩掴んで揺さぶりたいくらい、顕嵐くんの身長は左馬刻様に10cm以上足りなかった。

 

たぶん現実の原作ファンからは、舞台化そのものへの抵抗がすさまじく、顕嵐くんに関して言えばジャニーズJr.の出であることに注目が集まっていて、身長について騒がれていた印象はあまりない。

(リアルタイムではそもそも熱烈なファンがどこにいるのかすら分からず、アンチを見つけることさえできなかった、当時2次元の素養マイナス150のわたし)

 (これまで絶対そんなことなかったのに、メルマガ先行をすっぽかしたり当選分の入金を忘れたりするくらいにはモチベーションも低かった)

 

舞台での演技やラップそのものには、正直あまり不安がなかった。2.5次元ミュージカルのことはよくわからないけれど、これまでの蓄積があれば大きく出遅れることはない、それそのものが叩かれることもきっとないとは思えていた。

でも、身長は、顕嵐くんにどうにかできることじゃない。碧棺左馬刻に、浅沼晋太郎にどれだけ寄せることができても、原作ファンが期待する左馬刻にはなれない。身長186cm体重67kg25歳職業ヤクザを舞台で演じる上で、顕嵐くんに課せられたハンデはあまりに大きい。

 

迎えた公演初日、演技もラップも圧倒的に期待以上で、「阿部顕嵐史上ベストアクトだ」とメモに書きなぐったのを覚えている。外からの評価は知らない。でも、喉から叫ぶことなく、変にイキった感じもなく、力まずにこんなに強さを示せるんだ、とはじめて知って驚いた。

顕嵐くんは、やたら怒ってる役が来る割に別にそんなにしっくりこない、ということがしんどいポイントだったんだけど、演技そのものは決して下手ではない(表情が作れる、間合いが取れる、運動神経が良い)ので、ラップ慣れもライブ慣れも煽り慣れもしているなかで、顕嵐くんの得意がきれいに活きる役をもらえたなあと、それはすぐに感じられた。 

ただ、初日は前列サイドシートにいて舞台全体を見れたわけじゃないし、まず作品を把握することで精一杯で、身長どうこうは特に考えるタイミングがなかった。

 

2公演目、ド正面からステージ全体を見て、1幕冒頭ぎみざまいくから思いっきり「や、やっぱり~~~~~」が、口をついて出そうになった。

顕嵐くんのサマは、ちんまりしている。

ハマ3人の中では、ちいさいながらもきちんと左馬刻をしていた。でも、一郎とディビジョンのセンターを張り合うぎみざまいく、そして二人でステージに並ぶ最後のシーン、あきらきゅんの一郎と張るには、後ひと押し、もう少し何かほしいと思えてならなかった。

この主な要因はどう考えても高野洸という人の圧倒的な主人公力が優勝しすぎていることにある、それはそれとしても。

 

でもやっぱり、身長がもっと高ければ、ガタイがもっとよければ、この演技で充分張り合えたのでは、と何度も思った。ブーツと髪で盛って背の高さは同じくらいなんだけど、薄着な衣装も邪魔をして、どうしても華奢さが隠せない。

左馬刻の体型がこうなのは、顕嵐くんのせいじゃない。選んだのは制作だ。でも、舞台に立つ以上、顕嵐くんはそれも全部背負って、一郎と張る身長175cmの左馬刻を演じる責任がある。

 

公演を重ねるごとにどんどん演技が良くなっていく姿は、前世で何度も見た。でも、公演を重ねても背は伸びないし体重も増えない。楽曲もステージも楽しくて、モチベなんて言葉吹っ飛ぶくらい、今すぐチケットを増やしたいって衝動が抑えられないほどにはもうドハマリしてたけど、それでも未来がすこしだけ不安だった。

 

きっかけを掴んだのは、たぶん公演開始から2日目のソワレ。私はこの公演には入っていないけれど、カテコが終わって舞台を降りる最後の瞬間、歯を見せて笑う顕嵐くんに客席が大きくざわめいたと、何人もの人の言葉を見た。

(この日のマチネに入ってたけど、その時はほんのり笑みを見せるだけで、立ち位置的にもあまり多くの人には見えておらず、客席はさやかにそよぐ程度だった)

黄色い歓声が示すもの、それは、客席は君の味方であるということにほかならないと、顕嵐くんは知りすぎるほど知っている。もしかしたらこれが、顕嵐くんの演技がぐっとよくなるスイッチを押す一つになったんじゃないかと、勝手に思っている。

 

初日と2日目の左馬刻は、どのシーンでも顔は笑わず、クールに徹していた。いつも不機嫌で笑わない、感情を鎮めた左馬刻。

尊大で冷酷で暴力的な言葉が並ぶソロ曲やソロパートから解釈した、浅沼さんの左馬刻に寄せることをいちばんに置いた左馬刻だったんだろうなあと、いまなら思う。

3日目のマチネで目にした左馬刻様は、少し笑うようになっていた。無論ニコニコするんじゃなくて、嘲る、蔑む、呆れる、憐れむ笑い。

元来彼は、眼、表情を操るのは下手ではない。表情のバリエーションがぐっと増えたことで、演技に緩急がついた。一郎を嘲笑する姿にはヨコハマのトップを張る左馬刻の風格が芽生え始めた。舞台の左馬刻は、原作に寄せた左馬刻でありながら、顕嵐くんが演じる左馬刻になりつつあった。

本番の緊張感から抑えられていたものなのか、舞台に立つうちに変化が生まれたのか、どちらかは分からない。でも、初日と比べて明らかにゆとりが出た5公演目を見て、シルエットの華奢さを叩かれることに、もう私は怯えないと思えた。

 

そもそも顕嵐くんは、ポスター撮り時のインタビューから「左馬刻は『かっこいい8割かわいい2割』のキャラクター」とはっきり口にしていた。

ハタチそこそこの男の子が碧棺左馬刻を与えられて、果たしてどれだけがあのヤクザを「かわいい」と言えるだろうか。声と音楽とイラストだけのキャラクターを解釈して立体化することが、彼は想像以上に上手かった。それが舞台で実装されて走り出したら、もう怖いものはない。

 

燃えるような真っ赤な瞳と白い肌、アロハシャツから覗く細い腕、ぺらっぺらのスキニー、175cmの身長。

役に風格が増し、左馬刻が左馬刻と認められるほど、「幼女」「高校時代」「少年」「17歳」――そんな評判がポジティブに囁かれるようになった。

そして毎日、カテコが終わる最後の瞬間、見せ続けた華やかな笑顔。

最早碧棺左馬刻ではないとさえ言えるその一瞬、でもそれは「ステのサマ」の象徴としてすら語られるようになった。

CDでもコミカライズでもライブでも観られない、舞台にしかない、左馬刻と顕嵐くんがグラデーションする刹那。それは、アイドルとして生きた顕嵐くんが価値を生んだ時間だ。

 

客席を味方につけて自分の居場所をつくって、役を育てる。それが顕嵐くんの強みを活かした役作りの一つの形だったと、今なら思える。

ワクワクと一緒に恐ろしいほどのプレッシャーを被せてくるヒプノシスマイクというコンテンツ、2.5の様式にとらわれず作品に真摯に向き合っていたキャスト、ここで見るのがもったいないくらいのダンサー、愉快な音楽たち。そのすべてに1万8000円っていうバカみたいなチケ代を払わされたおたくが群がって、謎の熱がこもっていた2019年11月のステラボール

開演前、何一つ期待していなかったわたしが知ったら驚くほどに、幸せで満たされる時間だったことを忘れたくない。そしてそこで、わたしがずっと引きずり続けている前世が、すごくポジティブに光を放っていたことも。